哲学者ポパー: 推測と反駁 1/2

推測と反駁とは何か

 さて、ポパーの主張そのものを見てみましょう。私は、「推測と反駁 ~科学的知識の発展」( http://www.amazon.co.jp/dp/4588099175/) という本を読みましたが、800ページ以上ある書籍でとても読むのが大変でした。しかも、事例のほとんどが物理学に関わることで、哲学書にも関わらず物理を勉強したことがない人には読書に相当な困難が伴います。ハッキリ言って読むことをお勧めしません。私は3ヶ月間以上の週末を使ってしまいました。ここではこの本に描かれていたポパーの哲学を、正確性は欠いてもなるべく分かりやすく書こうと思います。

 

法則は直感から生まれる

 法則というものは、突然、直感から生まれます。初めは全ての法則は「推測」されたものです。ポパーは物理を例にあげていますので「法則」と書きますが、これは物理に限らず広く一般に当てはまるものですので、「発明」、「(経営などの)戦略」、「政策」、「アイデア」なり、いろんなものに当てはまります。が、以下「法則」と書きます。法則は必ずしも、観測を積上げたり過去の法則の延長線上にあったりするわけではありません。もちろんそれらは参照されていますが、ポパーは本質的には断絶のある、突然の推測であると考えています。

 

例:万有引力の法則

 例えば、ニュートンが発見した万有引力の法則は、それまでの物理学の延長線上にありません。「力」という今までになかった架空の概念を、直感的に、持ち込むことにより、ニュートンの推測として万有引力の法則が唐突に出現しました。このような推測は、リンゴの落下をただひたすら見ている、「観測」しているだけでは出現せず、また、それまでの物理法則をいくら詳細に知っていても、推測なしには出現しません。このように全ての法則は、何の確信のない、推測でスタートします。


 

反駁

 ポパーの「推測と反駁」の続きです。何の確信もない推測で始まった法則は、その真偽をテストしなければなりません。間違っていることを立証しようとすることを反駁といいます。推測された法則は、数々の反駁に耐えて、初めて法則となるのです。

 

価値のある推測

 その法則が、あり得なさそうな、そしてシンプルにもかかわらず多くの現象を説明できるほうが、価値が高いです。反駁の可能性が高い、つまり一見、成立しおうにない法則(確証性が低いという)のほうが良いとされます。よい法則ほど反駁の手段が多く用意されています。その法則は多くの批判的テストにさらされます。その批判に耐えられたもののみ、法則として生き残るのです。ただ、反証されたとしても人類に別の形の知見を残します。なので、大胆な推測は歓迎されるべきで、そのかわり、批判的なテストを十分うけるべきです。

 

■ 確証性が高い推測は意味がない

確証性が高い推測は、反駁されにくく、成立する可能性が高いでしょう。ただそれは価値は低いです。「aaである」のような反駁を試みる前から確からしい推測は、人類の進歩をもたらしません。一方で、大胆な推測は反駁されるまでは価値が高いです。ただ、たまたま運良く反駁に耐えている法則が、今のところ使える法則であり、永久に反駁されないことを保証しているわけではありません。また、テストがしづらかったりできない法則は価値が低いです。「ある場所である呪文を唱えると悪魔が出現する」という法則はほとんどテスト不能なので、ほとんど価値がありません。

例えば、あたりさわりのない主張は批判が少ない代わりに価値が低いです。大胆な主張は多くの批判を招きますが、批判に答えられれば価値の高いものになります。もっともいけないのが、大胆な主張をしておいて批判を受け付けないことです。その推測はテストされる真偽不明のものが、似非科学の知見があたかも正しいかのように蓄えられてしまいます。それは価値が低いどころか、害を及ぼします。