哲学者ポパー: ソロスとタレブ 1/2

金融と哲学

 診断士協会のとある研究会で、「金融の実務界で重要な役割を果たしている哲学を紹介してくれ。」と頼まれたことがありました。ここでいう「哲学」は、「投資哲学」といったような特定分野の原理原則という意味ではなく、アリストテレスソクラテスのようなガチの哲学です。そのような意味で哲学を意識している人はジョージ・ソロスしか知らなかったのでまずはソロスを紹介しました。しかし、いろいろ調べてみると、ソロスは科学哲学者であるカール・ポパーの影響を大きく受けており、また、「ブラック・スワン」の著者であるナシム・ニコラス・タレブもまた、ポパーの「白いカラス」の話を参考にしたと思われ、影響を受けていると思われます。そこでポパーについて紹介しようと思います。とても長くなるかもしれませんが、まずは、ポパーが何者で、ソロスとタレブにどんな影響を与えたか紹介しようと思います。

 

ポパーは金融の人ではない

 ポパー1909-1994年)は科学哲学者とよばれる分野の学者です。彼自身は金融について何かやったことはありません。専門分野は簡単に言うと、「科学と似非科学の境界線はどのように決められるか」というものです。ここでいう「科学」とはかなり広い意味で用いられており、いわいる「自然科学」に限ったものではありません。これを説明するのは難しいのですが、誤解を恐れずに簡単に言うと、ある主張が頑健性が高く正しいかどうか十分議論されていることを「科学的」といい、とくに根拠なく主張をしていてその確からしさが揺らいでいるものを「似非科学」とよびます。例えば、政治では継続性が高く正しく行われ続ける政治の仕組みを科学的とよび、いずれ恐怖政治などの押さえ込みが必要になるような政体を似非科学的とみなします。

 

ソロスとタレブ

 ポパーは金融と無縁だったにも関わらず、ポパー哲学が金融で引用されるようになったのは、金融工学ポパーの基準で言うと科学ではないからです。ポパーの考えはいずれ書くとして、まずはソロスとタレブがどんな風に引用したかを述べてみましょう。


ソロスと誤謬性

 ポパーは科学の進歩とは、大胆な「推測」とそれを批判して否定しようとする「反駁」である、と考えています。誤っているかもしれない推測、つまり誤謬性を伴った推測が、反駁に耐えられるかどうか試されているという連続であり、確定した「正解」はないという考え方です。ソロスはこれを株価の実態価値に当てはめました。正しい実態価値があらかじめ知っている人がいる、などという前提はありえないと考えたのです。株価の動きは、恐らく実態価値はこれくらいだろうという「推測」と、いや本当にそうだろうかという「反駁」の繰り返しであり、誤謬性を常に伴ったものなのです。ですので、実態価値を知っている人がいて、常に鞘取りできるという、いわいる「市場効率仮説」は、絶対に成り立たないと考えました。

 

自己強化プロセス

 実態価値の推測、それが正しいかどうかに関わらず、実現することによって推測した人は自信をもちます。ある理由で上昇すると推測した人は、その理由とは全く関係ない理由で上昇したとしても実際に上昇すれば、正しかったと自信をもちます。そして、ますます上昇すると考えるかもしれません。このように、自己強化的に、正のフィードバックをともなって株価が一方向に動くことがあり、それを自己強化プロセスとソロスは説明します。これはポパーの誤謬性を応用したものですが、ポパーはそこまでは述べておらず、ソロスオリジナルのものです。

 

ブッシュ政権批判

 ソロスはブッシュ政権が「開かれていない」として批判していた時期がありました。これもポパーの考える「推測と反駁を繰り返して正しい判断をしていく社会」いわいる「開かれた社会」の考えに基づいています。つまり、批判をうまく封じ込めれば、民主主義国家でも「開かれていない社会」を構築可能であるとソロスは主張したのです。

 

自然科学と社会科学の違い

 ソロスは自然科学と社会科学は同一に扱えないとして、それらを同一の基準で科学と似非科学に分けようとしたポパーを批判しています。これに関して私はソロスの主張は良く分からず、恐らくポパーの主張が正しいように思えます。というのもポパーは自然科学と社会科学の分類が自明でない状態を考えているので、ソロスの主張は若干的外れな感じがするからです。