マーケッティング感1

■ 企業と詐欺集団の違い
これはマーケティングと詐欺の違い、または、営業員と詐欺師の違いとも言えると思います。経営学ではこれらの2つの言葉を定義し違いを明確にしていますが、いろいろな定義があります。そんな中で私がなるほどと思ったのが、「企業は価値創造を行う、詐欺集団は価値操作を行う」です。このテーマは大変深いものがありますので、この観点からマーケティングの本質を考えていきたいと思います。

■ 価値創造と価値操作
企業も詐欺もお金を稼ぐ、つまり利益を出すという行為を行っている点は共通しています。しかし、企業は顧客にとっての価値を創造してあげた対価としてお金を受け取っているのに対し、詐欺は顧客から価値を奪ってお金を受け取る点が異なります。価値創造を伴う、対価としての利益は持続可能です。価値創造を伴わない価値操作で生まれた利益は、顧客が価値操作に気づいたとき以降、つまりだまされたと分かって以降は、お金を払いませんのでこの利益には持続性はないことになります。

■ 学術的な定義の詐欺は犯罪とは限らない
このような定義ですと詐欺が必ず犯罪としてあげられるかどうか分かりません。つまり、犯罪としての詐欺ではないにしても、顧客への価値を全く創造できていないばかりか毀損している場合は学術的な先の定義では、詐欺に分類されるのです。これは短期的には顧客は価値があるように思っていたものが、時間が経つにつて価値を毀損してしまっている場合は詐欺なのです。

■  ほぼ唯一、誰もが支持する経営学理論
経営学は他の学問比べて学問として極めて未熟なので、誰もが支持する論文とか、誰もが支持する本などはほとんどありません。経営学の論文やビジネス書などはまだまだ参考レベルの話で、「これはすばらしい」ともろ手を挙げて支持できるものなど殆どありません。(経営学やビジネス書の限界について述べている良書はあるのですが・・・これについては次のテーマの連載でご紹介します)。そんな中、多くの人がほぼ唯一支持する論文が、レビットの「マーケット近視眼」です。

■  レビットが述べたこと
この「マーケット近視眼」という論文は結構古く、1960年に発表されました。彼はそれよりかなり昔の、アメリカで鉄道業が全盛期だったころや自動車産業が始まりだしたころの企業の行動を考察しています。アメリカでも鉄道会社が全盛期だったころがあったようで、そのころの鉄道会社の人たちは経営者も含め自分達は「鉄道事業」を行っていると考えていました。鉄道はただの道具です。顧客にとって価値があるのはその車両そのものではなく、「移動できる」、「ものが運べる」ということにあります。なので、当然ですが、彼らの本当の事業は「輸送業」です。この事業の定義の仕方でやることがまったく変ってします。彼らは、何とか、人々を「鉄道」に乗せようと、押し込めようと考えていくうちに、顧客に「移動」という価値を提供することを忘れていきました。自分達の「製品」中心の発想になってしまい「顧客にとっての価値」を考えなくなったのです。
 
■  馬車の部品を作っていた会社が自動車発明後の苦悩
馬車の部品、ムチを作っている会社がありました。当時、道で走っているのは殆どが馬車でしたが、自動車が発明され大量生産が始まったころです。彼らは自分達の事業を「馬車の部品作り」と定義していたため、「そうは言っても馬車はなくならないだろう」と自分達に言い聞かせるようになりました。どうやったら馬車はなくならないか、どうやったらムチを売り続けられるかと、考え続けましたが、結果は馬車には誰も乗らなくなりました。彼らが自分達の事業を「人々に輸送を提供する機械を作る」と定義していたならば、創造的破壊をともなったイノベーションができたはずだと、レビットは述べています。つまりムチを作る技術と、自動車の部品のベルト部分は実は、作成に必要な技術は似ており、自動車部品の会社として参入できたはずであると。フィルムカメラからデジタルカメラの移行時など、その後も似たような事例がいくつも出てきました。

■  レビット理論の問題点を克服しようとするが・・・
ただレビットの理論は、ある意味、当たり前のことを思い出しただけに過ぎません。当たり前のことというのは、企業が継続していくためには顧客へ価値を提供しないといけない、提供してないとそれはただの価値操作で広い意味で詐欺ですよ、ということです。じゃあ、ムチを作っていた会社が自動車部品を作れたというが、会社によってはその能力があったりなかったりするわけで、会社ごとにムチを作り続けるべきか自動車部品に参入すべきか違うはずで、そういうのはどう考えればいいのか?という実際問題のところはレビット理論は全く答えていないわけです。レビットの理論を多くの人が支持するのはそれがすばらしい発明であるからというよりは、どちらかというと、否定しようもないくらい、当たり前すぎ、そもそも論すぎ、という感じなのだと思います。

■  「じゃあどうすればよいのか?」に答えようとした経営戦略論
レビット理論は「顧客に価値を提供しよう」という。でも、いったい何をすればいいのかをどう考えればよいか答えてないじゃないか、という問いに答えようとしたのが経営戦略論です。この分野で特に有名なのがバーニーとポーターです。バーニーは会社の中にどのような資源を持っていれば顧客に価値を提供できるかという観点で分析しました(いわいるResourced Based Viewという考え方)。有名なところでVRIO分析などのフレームワークをあみ出しましたがこれも会議のときに白板に使える程度のもので、結局どうすればいいかには答えていないと思います。ポーターは外部環境に注目し、おかれた外部環境の中でどのようにすれば生き残っていけるかを考えました。有名なところでFive Forces分析などがありますが、こちらも根本的な答えを見出せていない状態だと思います。彼らは意図していなかったと思うのですが、彼らの周りの人たちは、「内部環境」と「外部環境」のどちらが経営を決めるのかという不毛な議論が勃発し、両氏はライバル同士、天敵同士とみなされるようになりました。その後、ゲーム理論などが経営戦略論に導入され、「どうやったら儲かる?」、「どうやったら客から多く金がとれるか」みたいな議論が多くなり、視点がだんだんと、価値操作的な、「詐欺集団」に近くなっていきました。そして、本来の目的であった「顧客に価値を提供する具体的な方法」という企業が行うべきことの視点からずれていったのです。

■  もっとそもそも論的なところから考えてみましょう。
経営戦略論は一時期、そもそもの目的を見失ってしまいました。現在は軌道修正し、本来の目的を思い出し、マーケティング理論と融合しながら研究が進められるという健全な方向へ進んでいるようです。これについては後回しにして、企業と詐欺の違いをもっと根本的なところから考えて見ましょう。一件遠回りな感じがするかも知れませんが、そもそものところから考えた方が考えがスッキリすることも時々あります。そもそも論から考え直すとき、こども(小学生くらい)がしてきそうな素朴な質問に真剣に答えるという手法がいい場合が多々あります。

■  「おとなになったらなぜはたらくの?」
大人は何故働いているのか?実は、この質問はなかなか手ごわいです。インターネット上には子育て上ででてきた悩みを相談する人が多くいますが、この質問をこどもから受けた人がネット上で相談したものを見たことがあります。恐らくこどもは納得しないだろう多くの微妙な回答の中に、こどもがなるほどとうなずける素晴らしい回答を1つ見つけたことがあります。

■  「おとなになったらなぜはたらくの?」
大人は何故働いているのか?このなかなか手ごわい質問に対して多くの微妙な回答が寄せられる中、ベストアンサーに選ばれた素晴らしい回答がこちらにあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1318937298

■  そもそもお金は何のために発明されたのか?
人間が完全に1人で自給自足をしようとすると、栄養のバランスを考えると、1人で狩をし、1人で田を耕し、1人で魚をとりと大変です。石器時代から人間は集団となり高度に役割分担をし、狩に専念する人、田を耕すのに専念する人、魚を取りに専念する人と、役割分担を進めていきました。この際、狩をしている人と田を耕している人が、お互いが作っているものを物々交換してお互いが補い合ってきました。物々交換は不便だということで便利な道具としてお金が発明されました。つまり、集団の中で何かしら役に立った人に、お世話になった人がお金を渡し、役割分担を高度化していきました。つまり、お金は役割分担を円滑にする手段なのです。

■  そうすると企業と詐欺集団の違いは?
つまり、企業は社会の中で役にたったからそのお礼としてお金をもらっており、詐欺集団はなんの役割も果たしていないが人を騙してお金を盗んでいるだけです。社会に対してなんの貢献もしていない、つまり顧客にとって何の役にも立っていない企業は、継続してお金をもらえるハズはありません。もし役に立ってないのにお金が入ってきているなら、それは詐欺です。逆に言えば、社会の役に立っていれば、必ず何かしらの方法でお金が入ってくるべきです。お金はなぜ生まれたのか、なぜ存在するのか、その役割はなになのかを考えれば、企業と詐欺の違いも自明ですし、なんでおとなが働いているかも自明です。

■  レビットの理論はますます自明なこと
ここまでそもそも論にさかのぼると、レビットの理論も自明なことと気づきます。社会の中で役割分担を果たすこと、つまり顧客に価値を提供することで役割分担を円滑にするための道具であるお金をもらえるので、それを無視して自分たちが作っている「製品」が役に立っていなくてもなんとか売りつけようとしてもダメだというのは当然です。また、自分たちの仕事、事業の定義を「○○を作る」ではダメで、どのような役割を果たしているか「顧客に○○という価値を提供する」というものでないとダメだということも自明になります。