ビジネス書感

■ 誤解のないように・・・
書籍「ビジョナリーカンパニー」には多くの批判が浴びせられたことでも有名ですが、この批判はちょっとおかしいということを述べ、このことを通じて、経営学の本当の難しさについて述べていきたいと思います。ただ、誤解のないようにはじめに申し上げておきますが、私はビジョナリーカンパニーという本を特に支持しているわけではありませんし、特に批判するつもりもありません。私のこの本の評価は、多くの学者たちとそんなに違わないと思いますが、通常の1論文をたまたま書籍にしたもので、調査結果にはひとつの側面を示していることを評価しますが限界もあるという普通の研究であり、良いとか悪いとか騒ぎ立てるものではないと思っています。

■ 書籍「ビジョナリーカンパニー」の紹介
この本について知らない方も多いと思いますので、ごく簡単に紹介しています。この本ではアメリカの主要企業のCEOから採ったアンケートによって選び出された18社の調査から、なぜか実務家達に優良企業の必要条件(本書では「神話」とよんでいる)と信じられていることのうち、12個が間違いであった(必要ない)と指摘しました。

神話1.素晴らしい会社を始めるには素晴らしいアイデアや構想が必要である。
⇒ 具体的なアイデアは全くない。しかしウサギとカメのようにスタートでは出遅れるが長距離レースで勝っている。

神話2.ビジョンを持ったカリスマ的指導者が必要である。
⇒ 特に注目を集めるようなカリスマ的指導者はいない。

神話3.利益の追求を最大の目的としている。
⇒ 株主とか利益は目的にも原動力にもしていない。しかし結果として利益を上げることに成功している。

神話4.正しい基本的な価値観がある。
⇒ 基本的価値観に「正解」と言えるものはない。理念の内容ではなく、いかに深く一貫として信じているかがポイントである。

神話5.環境変化に対応して変り続けている。
⇒ 基本的価値観は揺るぎなく、時代の流れや流行に左右されることはない。

神話6.優良企業は危険を冒さない。
⇒ 社運を賭けた大胆な目標に挑んでいる。

神話7.ビジョナリーカンパニーの職場は誰にとっても素晴らしい職場である。
⇒ ぴったりと合う者にとっては素晴らしい職場だが、そうでない者はばい菌のように追い払われるカルトのような職場である。

神話8.綿密な戦略を立てて最善の動きをとる。
⇒ 試行錯誤、臨機応変に大量のものを試し、偶然うまくいったものを残している。

神話9.根本的な変化を促すために社外からCEOを迎えるべきだ。
⇒ まったくその逆で経営陣は生え抜きである。

神話10.競争に勝つことを第一に考えている。
⇒ 自らに勝つことを第一に考えている。

神話11.戦略とはより良い手段を選択することである。
⇒ どちらが良いかという二者択一のORを拒否しANDの才能を大切にしている。

神話12.経営理念が明確である。
⇒ 経営理念が明確なことはほんの第一歩である。すみずみまで行き渡っており、代々引き継がれている。

と、こんな感じの内容です。

■ よくある批判
書籍「ビジョナリーカンパニー」への批判としてよくあるのが、「本の中で優良企業とされていた企業のほとんどが、その後、業績を悪化させている」というものです。ビジョナリーカンパニーに似た本で先に出た、「エクセレントカンパニー」という本があります。この本ですばらしい企業として取り上げられた会社を、ビジネス・ウィーク誌が追跡記事を書きましたが、その結果はほとんどの会社が業績を悪くしていたのです。これをもって追跡記事ではこの本を批判しました。これらの本で出てくる優良企業に関して、後付であれこれ理由をつけているだけではないかと。つまり、優良企業になるためにどうすればよいか、優良企業の法則のようなものをまったく示していないではないかと。

■ ときどきある過ち
例えば、ものすごく業績が良い会社があるとします。とりあえずこの会社をA社と呼びましょう。A社がなぜ業績がよいのかいろいろと分析をする人が現れるでしょう。このとき「因果関係」、何が理由で業績が良くなったか、をはっきりさせるのは本当は、非常に難しいことです。にもかかわらずA社がやっていること、とくにA社だけが行っていることは良いことだと錯覚しがちです。この錯覚は「ハロー効果」とよばれています。ときどき、ビジネス紙や本の中にこういう錯覚に陥っているものがあります。「業績のよいA社は○○を行っている。○○はいいことだ。」と短絡的な結論を書いているのです。そしてA社の業績が悪くなるとまた別の業績の良い会社を探し、A社をほめていた時とは矛盾した記事を書き続けるのです。このことを指摘する書籍は多くあります(「なぜビジネス書は間違うのか –ハロー効果という妄想-」など)。

■ 短絡的思考
「A社は業績が良い。A社は○○をやっている。だから○○をやるべきだ。」というのは多くの場合間違っていますし、経営はそんな簡単なものではありません。経営の結果は非常に複雑な因果関係が絡み合っているため、○○と業績の因果関係ははっきりしませんし、他の要素が必要だったりと簡単にはそう言えないからです。ビジョナリーカンパニーを批判している人たちは、「『A社は業績が良かった。それは○○をしているからだ。』と述べているが、結果、その後業績が悪くなっているではないか?その因果関係は本当はなかったのではないか?」というものです。

■ ビジョナリーカンパニーは本当にそのことを述べたかったのだろうか?
恐らく著者達は、広く実務家に信じられていたこと【神話】が「必ずしも正しくない」という反例を列挙したかっただけなのだと思います。このこと自体は学術的にも価値のある研究です。しかし、これも良くあることなのですが、これを論文ではなく書籍にする際に、出版社や編集者から「もうちょっと面白くかけないの?」とか「アンケートの集計方法とか付録にしてよ」とか言われ、断定的な書き方が多くなってしまった可能性があります。その結果、学者的には意図していないことまで結論付けてしまい、上記のような批判を浴びてしまったのではないかと考えられます。

■ 読者側にも問題
「A社は業績が良い。A社は○○をやっている。だから○○をやるべきだ。」という発想をし、著書にそのような「経営の答え」を求める読者が少なからずいることによって、著者側も断定的な書き方を迫られるということもあるでしょう。そもそも、今後も成長する18の会社を選び出すということは到底不可能なことであり、そんなことを期待し、今後も成長する企業を外したからといって裏切られたと騒いで批判する読者は、経営の難しさを理解していない証拠だと思います。そのような人たちがいる中で、例えばビジョナリーカンパニーの中で実際には
『神話9.根本的な変化を促すために社外からCEOを迎えるべきだ。
⇒ まったくその逆で経営陣は生え抜きである。』
と書かれていたところを、学術的に正しく、
『神話9.根本的な変化を促すために社外からCEOを迎えるべきだ。
⇒ 少なくとも過去においては生え抜きの経営陣でうまくいった会社はある。
未来においてはそうとも限らないが。』
とかかれていたら、この本は売れるでしょうか?短絡的な思考のもと、経営の答えを求める人向けに、前者のような書き方にせざるを得ないのだと思います。多くの賢明な読者は、前者の記述をみて後者のように理解しているのだと思います。このような翻訳が頭の中で行われている人は、この書籍を批判したりはしないでしょう。

■ 因果関係と相関関係、必要条件と十分条件、逆・裏・対偶
短絡的な思考に陥らないためには、因果関係と相関関係の違い、必要条件と十分条件の違い、逆、裏、対偶などを思い出すといいと思います。これらは
因果関係と相関関係
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3846744.html
 必要条件と十分条件
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080822/168550/?P=1
 逆・裏・対偶
http://www6.plala.or.jp/yottya/docs/ronri1.html
などが参考になります。これらは高校までには習っていることなのですが、実生活で使い方が良く分からず忘れてしまっていることも多いでしょう。しかしながら因果関係が複雑なビジネスだからこそ、このようなことを意識することが大変重要なことがあるのです。

■ 未来のことは結局分からないのだが・・・
その予測精度を向上させる努力は必要です。因果関係が複雑でかつ時間の経過と共に必要条件、十分条件が変化する非常に難しい世界です。経営学が他の学問に比べ発展が遅れているのは、学者が怠けているのではなく、その対象の因果関係の複雑さ、時間的な不安定さによる、検証の困難さから来ています。他の会社と違うから良いとか悪いとか、あの会社がやっていることはいいことだとか、短絡的に考えずに内・外環境を良く考えて因果関係を可能な限り紐解く努力が、未来を考える上でやくにたつと思います。そして、方法論の議論が難しいからこそ、顧客価値創造といった目的論を忘れずに議論することが必要なのだと思います。