書籍「現代政治学」の感想1: 集合知の優位性

書籍「現代政治学」(http://www.amazon.co.jp/dp/4641123314/)を読んで感じたことを
取りとめもなく書こうと思います。

少数の優れた人間を固定し、正しい判断をし続けることは難しい。
社会が複雑になり、高度に役割分担が加速している現代においては、
一人の人間が見えている、感じられている範囲に限界があり、
見えていない部分に関しては思考のモレが生じ、
そのモレが大きな失敗の元となるケースが増えていると思う。
いわば、一人ひとり見えている景色が全く違うので、
考えつくことも大きくことなってくる。いろんな景色を見ている人たちが
意見を出し合い検証しあわないと
少人数だと見えてない景色は必ずあり、見えていなかった領域から
問題が発生することがしばしばある。

昔はそんな必要はなかった。
現在ほど役割分担が高度化されていなかったので、全ての景色を見ることができた。
極端なことを言えば、旧石器自体では部族の中にどのような活動があるか完全に把握できるが、
今、アメリカの大統領が行政の全ての活動を把握することは絶対に不可能である。

これは政治にも会社経営にも、その他いろんなところでいえることだと思われる。

政治においては、社会主義の失敗は実は「みんなで検証しあう」という仕組みが
結果的には欠落していた。
現在の、自由民主主義においても、政府だけに頼るのではなく、
国民みんなで政治を考えようという動きが出てきている。
政府自体も全てを把握することに期待できなくなっている。
政治学の本(http://www.amazon.co.jp/dp/4641123314/)によると、
政治は、国がどういう状況にあるのかという情報を入力し、その入力を処理する政府、
出力として実行する行政とが
存在する。ようは、インプット、演算、アウトプットである。
日本の国民はおいては、アウトプットばかりを批判し、
インプットに関わってこなかった、と述べていた。
インプットに集合知が生かされていないため、アウトプットも一部のエリート視点で
考えられたものが出てきていた。
政府も、つらいんだと思う。インプットを欲しているが、単刀直入にも言いづらい。
なぜなら、「政府は何をすれば良いか分からなくなっちゃったから教えてください」
という文脈に誤解されると、それはそれで国民に批判されかねない。
ただ、よくよく考えれば政治家は国民の代理であるのだから、
分からなくなったら国民に聞くのは悪いことではないと思う。
少し違うかもしれないが、「新しい公共」という概念も、
インプットの多様性確保に非常に有意義であると思われる。
みんなの便益をみんなで考えて作り出す。インプットにもアウトプットにも
もっと国民が関わっていく時代が来つつあるのだ。
そう、政治家や官僚がやったこと(アウトプット)に
文句をいっているだけの時代は終わりつつある。
インプットを自分達の手で作り出すとともに、場合によっては、
アウトプットまで政府に頼らず作り出すことが、
これから必要なんだろう。

会社においても、ファシリテーション型リーダーとか、アメーバ組織とか、逆三角形型組織図とか、
多様性の確保、ダイバシティーとか、集合知を生かそうとした概念が増えている。
社長一人では、顧客の願望が分からなくなってきた。多様なインプットを得ることにより、
よりよいアウトプットを出そうとする活動が広がっている。
ワークライフバランスも、多様なインプットを得るための手法の1つだ。
これは1人の人間が多様なインプットを持ち込むということで、ダイバシティーで多様な人間を、
ワークライフバランスで個々人が多様なインプットを持ち込む。
両方やれば極めて多様なインプットが獲得できるのだ。
インプットに多様性がない会社は今後厳しいだろう。
なぜなら、顧客のことも社会のこともまるで分からなくなってしまい、
価値創造ができない、もっといえば、何が価値なのか分からなくなってしまうからだ。

集合知は最近、人工知能系の学会でも多く出てくる話題となった。
このような工学系の研究も融合すれば、社会作りはもっと良いものになるだろう。