書籍「現代政治学」の感想2: 競争によって初めて社会の効率性が上昇する

書籍「現代政治学」(http://www.amazon.co.jp/dp/4641123314/)を読んで感じたことを
取りとめもなく書いています。
今回は書籍に直接描いてあったことではないが、読んでて再度思い出し感じたことである。

人類の進化とは、さまざまな活動の効率性向上である。
例えば、川に水汲みに行っていたのが、井戸ができ水を得るのが楽になった。
さらに水道ができ蛇口をひねれば水が出るようになった。
生きていくうえで必要な「水を得る」という活動が効率的になり、
あまった時間で違うことを行い、さらに効率化を進めていく。
例えば、主婦がやっていた仕事がどんどん効率化されることにより
共働きがもっと可能になって行った。

効率化においては、競争が不可欠である。
例えば、家族ごとに魚を釣りに行かなくても魚が食べられるように効率化するとする。
それは漁を専門として網をつかって大量に魚を得て、
それを売るという商売である。
もし仮にここに競争がない場合はどうだろうか?
例えば、政府が漁をしている人たちの給与を一律に与えるとかである。
その場合は、漁師はサボるかもしれないし、もっと効率的に魚を取ろうとはしないかもしれない。
魚を食べる人が増えても、効率化かが進んでいなければ漁師を増やすしか漁獲量を増やせない。
漁師を増やすということはもっと他の仕事に就ける機会を減らすわけで、
役割分担の高度化は進まず、他分野の効率化を疎外する。

そもそもお金というものは社会の役にやくに立った人に渡され、
その人から便益を受けたものが支払う。これはお金が作成された理由である。
効率が悪い漁師にはお金が回ってこず、効率が良い漁師にお金が回ってくるのは、
そもそもお金が作成された目的からしてそうあるべきである。

当たり前じゃないかと思うかもしれないが、この基本原則は忘れられがちである。
例えば、高効率なスーパーが進出してきたときに、古い商店街が反対する場合がある。
もちろん競争は公正であるべきで、公正でない競争、これはつまり結局は社会の効率性を
あげず、人々に便益を与えない、または便益を奪うという結果になる競争はダメである。
例えば、原価割れの商品をいっぱい発売して競争相手を全て廃業に追い込んだ後、
不正に高い値段で商品を販売して、結局は人々が便益を得られないような競争である。
このような競争を防がなければならないとか、街の治安であるとか、
コミュニティーの劣化を防ぐとか、そいういう理由で商店街が反対するのはもちろん合理的である。
お金は役割分担を高度化するための手段であり目的ではない。
そのほうが社会の効率性は高く人々の便益が高いかもしれない。
しかしながら、単に儲からなくなるとか我々の生活が脅かされるとかいう理由だけで、
スーパーの参入に反対するのはおかしな話である。
これは人々の便益を向上させる競争である。
この競争を通じて人類は効率性を向上させし進化し、幸せになってきたのだ。

一方で、社会の役にっているのにお金が入ってこない場合もある。
これはいわいる集金の仕組みが確立されていない状態で、
少し前までのtwitterなどもそうであった。
ビジネスモデルが発明されていないといった方がよいだろう。
政府は強制的に税金をとって社会の役に立つことをやっている。
やっている内容は国民にチェックされ投票を通じて審判を下されるので、
合理的な仕組みであるし納得感もある。
政党や議員が選挙という競争を経てよりよい政府を構築するのであり、
やはり競争が効率的な社会作りに貢献しているのだ。
(もちろん、まだまだ完全ではなく、不満の残る場合もあるが)
一方で、政府がやるには適当ではないが、ビジネスモデルが発明されていない
役割というものも存在する。そういう役割を担っている人たちは
寄付を集めたりNPOとして活動したりする。

NPOも競争が必要である。すなわち、社会の役に立っていないNPO
なくなるべきであるし、役に立っているNPOにはその証としてお金が入ってくるべきである。
ビジネスモデルが確立されれば自然とこの状態になるのであるが、
そうなっていないからNPOなわけで、誰がどのようにお金を払うのかが難しい問題として残る。

例えば、官僚が審査して税金から配布する場合はどうであろうか。
審査がきちんとしたものでなければ、薄く広くばら撒くだけになるかもしれないし、
逆に接待がうまかったところだけに不必要にいっぱい金が入ってくるかもしれない。
少数の人間で考えている限り、キチンとした審査の方法など維持できるとも思えない。

NPO同士が選挙のようなもので戦って国民に決めさせるのはどうか?
これはコストがかかりすぎるし、投票率も低くなりそうだ。
最高裁判所の国民審査のように)
それに後述する寄付の場合と同じような欠点がある。

寄付はどうか?寄付の場合、社会への貢献度合いに対して金額が足りない場合がある。
ビジネスモデルが確立している場合と比べ、その貢献度合いが分かりにくい。
なので寄付する側は本当に役立っているのかどうか分からず躊躇する。
または、そんなに役に立っていないけど分かりやすいNPOに金が過剰に集まりやすいという
状況も起きてしまう。寄付は活動の分かりやすさで左右されすぎて、
実際の社会への役立ち度とは関係なくなる懸念がある。

もっと重大な問題は社会の役に立っているかどうかすら、
事後的にしか分からない活動が多いことである。
便益を受けている人たちが便益を受けていることが分かれば
直接お金をいただいて、つまりビジネスモデル上に載せることができる。
しかし、便益が今分からないから、払いようがない。

NPO同士をどのように競争させるか。
これは単純な問題ではなく、かなり難解な問題であることが分かった。
それは後述する政党の活動資金はどうあるべきかと同じくらい難しい。