ポパーまとめ(twitterの呟きを並び替え)

2010年03月29日(月) 1 tweets

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800ページもある哲学書を買った。他の哲学書は他の方々に任せ、私はこれを読もう。1年くらいかかりそうだけれども・・・。 「推測と反駁-科学的知識の発展」 カール・R.ポパー http://www.amazon.co.jp/dp/4588099175/
posted at 23:11:27

2010年07月06日(火) 1 tweets

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哲学書の読書進捗が滞っている。しかし、カール・ポパーの本は読みやすいと言ってしまったけど、もしかしたら、物理学への考察が多いこの本は、私が物理をやっていたから分かりやすく感じるだけで、普通の人には分かりにくいのかもしれない。この本を研究会で紹介するときは物理の説明からしよう。
posted at 22:43:50

2010年07月18日(日) 18 tweets

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哲学者ポパー1: 法則というのは初めは直感から生まれる。その法則が、あり得なさそうな、そしてシンプルにもかかわらず多くの現象を説明できるほうが好まれる。つまり、反証可能性が高く確証性が低いものが良い。これが推測。
posted at 00:13:10
哲学者ポパー2: よい法則ほど反証の手段が多くある。その法則は多くの批判的テストにさらされる。その批判に耐えられたもののみ、法則として生き残る。ただ、反証されたとしても人類に別の形の知見を残す。これが反駁。
posted at 00:14:44
哲学者ポパー3: 推測された法則は確からしさが低そうなものが常である。「aはaである」のような反駁を試みる前から確からしいものは推測は、人類の進歩をもたらさない。たまたま運良く反駁に耐えている法則が、今のところ使える法則であり、永久に反駁されないことを保証しているわけではない。
posted at 00:30:11
哲学者ポパー4: テストがしづらかったりできない法則は価値が低い。「ある場所である呪文を唱えると悪魔が出現する」という法則はほとんどテスト不能なので、ほとんど価値がない。
posted at 00:33:12
哲学者ポパー5: 「カラスはすべて黒い」という法則と「カラスを1000羽観測したら1000羽とも黒かった」は全然違う。前者は確証性が低い推測された法則であり、後者は論理的に高い確率を持った観測である。両者を混同している人たちは哲学者の中にでさえいる。
posted at 00:48:32
哲学者ポパー6: ましてや「カラスを1000羽観測したら999羽黒く1羽は白かった」という場合、「カラスはすべて黒い」という法則は反駁完了しており一切成立しない。「カラスはすべて黒い」という法則が高い確率で成立しているとは一切言えず、この法則は全くもって一切成立しないのだ。
posted at 00:49:43
哲学者ポパー7(私の考察1): 「カラスを1000羽観測したら999羽黒く1羽は白かった」は、同一環境・条件で観測した場合「黒いカラス」のほうが論理的に高い確率で存在することだけを示している。環境が変われば異なる可能性があり、高い確率で成立する「法則・理論」と考えるのは危険。
posted at 00:54:05
哲学者ポパー8(私の考察2): 法則は観察の積み重ねで生まれるわけではない。観察をしていて殆ど「黒いカラス」だからといって「カラスは黒い」という法則は一切生まれない。これは、過去データに頼る金融工学への警笛であり、ダレブがブラックスワンと呼んだものもこれだろう。
posted at 01:00:49
哲学者ポパー9(私の蛇足): タレブはポパー哲学を学び影響されたと言われる。ポパーが「黒いカラス」を例に出しているのに対し、タレブが「白い白鳥」を例に出しているのは面白い。
posted at 01:02:58
哲学者ポパー10(今後1): 530ページほど読んだ「推測と反駁」のまとめと考察を書いた。まだ150ページほど残っているから変わるかもしれない。私の考察もまた、反駁されるかもしれないのだ。
posted at 01:10:09
哲学者ポパー11(今後2): ポパー哲学を金融に当てはめたタレブの「ブラックスワン」も読まないといけないかもしれない。ただ、内容は99%予想できるし、予想外の内容であれば彼がポパー哲学を理解していないというだけのことだろう。単にその著書をテストするためだけに読むことになる。
posted at 01:11:44
哲学者ポパー12(日常応用1): 二つの主張が対立した場合、反駁しやすいほうをテストすべき。反駁しにくいほうを主張する人に「反駁できないことを証明させる」ことを強要するのはダメ。(例:痴漢の冤罪事件)
posted at 01:22:04
哲学者ポパー13(日常応用2): 大胆な推測を主張する人を歓迎すべき。それを批判し、テストし反駁を試みることにより様々な知見が得られる。たとえ反駁されたとしても。批判しやすい主張はそれだけで価値がある。これは逆に言えば、大胆な主張をする一方で批判を拒むことは絶対に許されない。
posted at 01:28:09
哲学者ポパー14(ソロスの考えとの関連1): ソロスの再帰性はソロスオリジナル。タレブと違い単純応用にとどまっておらず独自発展が見られる。ソロスの誤謬性はポパー哲学の単純適応。ポパーの哲学を知るとソロスの主張はより正しく思える。
posted at 01:56:29
哲学者ポパー15(ソロスの考えとの関連2): ただ、自然科学と社会科学は後者が観察者との相互作用の為根本的に異なり、ポパーの境界設定問題の主張は間違っているという主張は誤り。これはソロスがポパー哲学を(もっといえば自然科学を)深くは理解していないからであろう。
posted at 01:56:54
ここから「開かれた社会」が出てくるのだと思います。残りの150ページで。 RT@kkirysk ここ素晴らしいですね。その通りだと思います。 RT 哲学者ポパー13(日常応用2): // 大胆な主張をする一方で批判を拒むことは絶対に許されない。
posted at 11:10:02
ポパーの考えた政府の良し悪しの境界線は、イデオロギーでなく、批判可能性の高低です。批判可能性が高い方が良い政府「開かれた社会」。社会主義でも自由に批判できる政府であれば良い政府だし、民主主義でも批判を封じ込める政府であれば悪い政府だということでしょう。 RT @kkirysk
posted at 11:19:41
その通りだと思います。批判を歓迎する態度が最も重要だと彼は述べていると思われます。 RT @kkirysk 批判される側が「批判に対して開かれている」ことが大事という意味もあるんですかね? RT ポパーの考えた政府の良し悪し //
posted at 11:37:08

2010年07月19日(月) 5 tweets

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哲学者ポパー16: 物理の話が終わり、弁証法批判が始まる。ヘーゲルマルクスを痛烈に批判。理系の私にはちょっと歴史的背景事情が分からずあまり理解が進んでいない。文系の人にとっては常識的な話で、分かりやすい説明がされているのかもしれないが・・・。
posted at 21:42:04
哲学者ポパー17: ただ、教訓にすべきことはなんとなく分かった。批判される側が自分で決めた方法・様式・手続きでしか批判を受け入れないのは、批判を受け入れていないのと同じということだ。方法等を限定することは、一見、批判を受け付けているように見せかけ独断的にことを進める巧妙な技術だ。
posted at 21:49:06
哲学者ポパー18: ポパーに言わせれば民主主義と共産主義のどちらが残るかはそのその各主義が主張する内容以前に、マルクスヘーゲル弁証法を巧妙に使って批判の様式を限定して批判をかわすという巧妙の手法を用いている時点で、共産主義に未来はないと考えたのだろう。おそらく。
posted at 22:10:25
哲学者ポパー19: ソロスがジョージ・ブッシュ政権を「開かれていない社会」であると批判したように、批判に対して政府が開かれているか閉じられているかは、イデオロギーとは関係ない。民主主義であっても巧妙な技術を用いて批判を封じ込め、独善的にことを進められる危険性があるのだ。と思う。
posted at 22:22:03
哲学者ポパー20: この巧妙な議論の封じ込めは、資本市場での、市場効率仮説支持者たちにも使われているような気がする。そして市場原理主義が助長されたのだろう。物理系出身の私が、ファイナンス系の学会での議論の仕方に対して感じている違和感は、こういうところからきているのかもしれない。
posted at 22:36:12

2010年07月22日(木) 1 tweets

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哲学者ポパー21: 政治哲学の考察が始まる。考察しきれていない感があるが、結論的にはマイケル・サンデルに似てる。つまり、議論の積み重ねが重要、それは文化を超えてすべき、世論は議論の結果ではない、伝統を脇においた<人間>が道徳を議論することはできない。道徳は存在する、など。
posted at 22:33:39

2010年07月25日(日) 2 tweets

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哲学者ポパー22: 名言「私は自分が正しいと思うが間違っているかもしれない。そして君が正しいかもしれない。ともかくそれを討論し合おう。なぜなら、それによってお互いが自分が正しいと言い張っているよりも、真の理解によりいっそう近づける見込みがあるからだ。」
posted at 00:16:33
哲学者ポパー23: お互い自分の意見を相手に納得させようとしているだけでは、それは議論ではない。両者に、自分は納得させられるかもしれない、お互いのどちらの意見とも異なる第3の意見に納得するかもしれない、という心構えがないと議論にならない。
posted at 00:20:39