カール・ロジャーズ 1/2

■ もう半年ほど前に読んだ本
 もう半年ほど前ですが、カール・ロジャーズの「人間尊重の心理学―わが人生と思想を語る」http://www.amazon.co.jp/dp/4422113895/ )。何故この本を読み始めたかというと、産業カウンセラー協会が推奨している心理カウンセリング手法が、カール・ロジャーズが確立した手法を推奨しているからでした。私の家内が産業カウンセラーの勉強をしていたことがきっかけでこの分野を知り興味を持つようになりました。それと、コーチングやファシリテーションなど、ビジネスの世界で普通に使われているコミュニケーション技術の根幹をなす技術、傾聴(よく聞くこと)を、最も高度に要求されるのが心理カウンセリングの分野であり、この分野の傾聴技術は仕事や日常生活、趣味の領域でも役立つと思ったのも理由でした。
 
■ 孤独とは何か、共感とは何か、関心とは何か。
 産業カウンセラーのみならず、いずれの分野の心理カウンセラーも、心の奥底にあるものをえぐり取られるような経験をしないと、いいカウンセラーになれないのかもしれません。少なくとも、自分自身の心の奥底と向き合えないといけないのだと思います。カール・ロジャーズも様々な苦悩を経験しながら、現在では常識とされる心理カウンセリング手法を編み出しました。
 
■ 何をするにもあったほうが良い知見が書かれた本
 この本に書かれていることは人間が言語を使って行う活動に普遍的に起こることで、どんなことをするにも役立つ知見だと思います。特に人を教育する場合にはとても参考になります。実際最近は、教員免許を取る場合にはこのあたりの技術習得が必須化されたようです。ただ、本の章立てがよろしくなく、バラバラでとても読みにくいです。正直、1章、6章、7章、8章、10章だけ読めば十分だと思います。むしろ他の章は賛同できない内容も多いもので・・・。次週から具体的内容を紹介していきますが、次回はまず、カール・ロジャーズが何者かを書きたいと思います。
 
■ 何者か?
 正直に申し上げるとこの本を読んでもイマイチ、彼が何者かが良く分からなかったので、wikipediaの内容を参考に紹介します。
 
■ 牧師を目指すも心理学に転向
 1902年にアメリカの宗教に厳格な家庭に生まれたロジャーズは当然のように牧師を目指していました。しかし、神学校に通ううちに疑問を感じ、臨床心理学へ転向します。その後、ニューヨーク児童相談所での研修を経て、ロチェスター児童虐待防止協会でカウンセラーをすることになります。当時のカウンセラーは指示的な手法を用いていました。つまり、「あなたはこうした方がいいですよ」とアドバイスする手法です。ロジャーズはこの指示的な手法で、子供たちを救えていないことに気付き、自ら理論的枠組みを作りなおしました。それが、非指示的カウンセリング(専門的には「来談者中心療法」)を確立させました。非指示的とは、「ああしなさい、こうしなさい」とは言わずに、相談者自身が解決方法を探す手伝いをするという手法です。現在ではほとんどの心理カウンセラーの専門家はこの手法を用いています。
 ちなみに、テレビなどで相談にのる人は指示的な人が多いように思われます。テレビ的には、実際には効果がない指示的な手法のほうが盛り上がるからなのでしょうね。非指示的カウンセリングは効果があってもテレビ的には絵にならないということなのでしょう・・・。
 
■ なぜそのような手法に至ったのか
 テープレコーダーの発明により、カウンセリング時のやり取りと、その後、相談者が悩みを解決できたかどうかの因果関係を調べることが可能になりました。ロジャーズは、思い込みを捨て、この因果関係を丹念に調べた結果、「指示的な手法」が効果を生んでいないことを突き止めました。このように、「なんとなくそう皆が言っているから」とか、「そうに決まっている」といった思い込みを捨て、短絡的な結論付けをせず、本当にそうだろうかと考え、丹念に事実関係を考えたロジャーズの姿勢は、見習うべきところがたくさんあるように思います。
 
■ 理論の大元になる信念
 彼が非指示的な手法をとるように至ったのには、人間には、もっと言えば、生物にはすべて「実現傾向」があるという信念があったからでした。
 
■ 実現傾向とは何なのか?
 生命は必ず良い方向へ向かおうとしているとロジャーズは考えています。反対の考え方は、生命は悪いことをしようとするので統制しなければならないという考え方です。ロジャーズはほっとけば良いと考えているのではなく、良い方向に向かおうとしている生命を、邪魔しない、そして、良い環境を作ってあげて、実現能力を引き出してあげることが大事だと考えているようです。愛という概念は、実は他人に対しても良い方向へ実現してあげたいという実現傾向の一種だと解説されています。
 彼の書籍から引用しましょう。「生命体は絶えず探求し、何かを始め、何かに到達しようとしているのです。人間という生命体においてはひとつの中心的活動源があります。この源は生命体全体の有力な機能です。簡単に言うと、生命体の維持だけではなく、その向上を含むような実現、充足への志向であります。」
 
■ どんな困難な状況でも自力で解決できる能力を持つ
 実現傾向があるため、どんな困難な状況におかれた人も自力で解決できる能力があると考えています。そのため、困っている人に「ああしなさい」「こうしなさい」とか指示する指示的なカウンセリングでカウンセラーの能力に頼る方法よりも、その人の能力を引き出すための話を聞いてあげる、傾聴、を用いた手法、非指示的な手法のほうが優れていると考えました。言いかえると、ティーチング的手法、つまり解決方法まで細かく指示する方法よりコーチング的手法、目標をはっきりさせて解決方法は傾聴しながら任せる手法がいいと考えたのでした。つまり仕事を与える人を、「たぶんできないだろう」と考えるのではなく「できるに違いない」と考えるということです。指示を出す側は指示を受ける側の能力を低く見積もりがちです。しかも、自分が考えている手法と違う手法で解決するのを快く受け入れられない心境に陥ってしまう場合すらあります。なので、ちゃんと話を聞いてあげれば出来るんだ、と思うことが大事なのかもしれません。
 
■ 難解な実現傾向という概念
 彼の言う「実現傾向」は難解な概念です。先週私は自分の言葉で噛み砕いて説明したつもりですが、原文の改悪だったかもしれません。ですので、難しい文章が続きますが、該当する原文を見てみることにしましょう。
 
■ 実現傾向:原著での解説部分
-------ここから引用--------
(p.104)
 人間中心アプローチが人間並びにあらゆる生命体に基本的信頼を置くことは実践、理論、研究において明確です。それを証明する多くの理論があります。あらゆる生命体は、各水準において内在する可能性を建設的に開花させようとする基本的動向を所有していると言うことができます。人間においても、より複雑で、より完全な発達に向かう自然の傾向が存在します。これを表現する用語として一番良く使用されるものは「実現傾向」であり、これはあらゆる生命体に存在します。
(中略)
 少年時代に食用とするジャガイモを入れていた地下室の貯蔵箱を思い出します。それは小さい窓から二メートルも地下に置かれていました。条件は全くよくないのにジャガイモは芽を出そうとするのです。春になって植えると出くる緑の健康な芽とは似ていない青白い芽を出すのです。この悲しいきゃしゃな芽は窓から漏れてくる薄日にとどこうと、60センチも90センチも伸びるのです。この芽は奇妙な形ですし無駄ですが、私が述べてきた生命体の基本的志向性の必死の表現と見ることができます。
(中略)
  (恐ろしくゆがんでしまった人生を持つ)これらの人々は、異常でゆがみ、人間らしくない人生を展開させてしまったひどい状況にあります。けれども、彼らの中にある基本的志向性は信頼することができます。彼らの行動を理解するてがかりは、彼らは彼らに可能な方法で成長と適応に向かってもがいているという事です。健康な人間には奇妙で無駄と思えるかもしれないけれど、その行為は生命が自己を実現しようとする必死の試みなのです。この前進的傾向が人間中心アプローチの基底なのであります。
 
(p.108)
  かくして、あらゆる動因の基本が生命体の広範な行動、広範な要求への反応の中に自ら表れているのかも知れません。確かなのは、ある特徴的な基本的要求は、他の要求が明確になる以前に少しでも満たされていなければならないということです。従って、生命体が自己を実現する傾向が、ある時点では食物や性的満足を求めることであるかもしれません。しかしながら、その要求がどうしようもないほど大きくない限り、自己の尊厳を低めるのではなく高める方向で満たそうとします。また、生命体は環境との相互関係において他者の実現をも求めます。環境を探求したり変化させようとしたりする要求、行動を起こそうとする要求や自己探求の要求、これらはすべて実現傾向の基本的表出であります。
  すなわち、生命体は絶えず探求し、何かを始め、何かに到達しようとしているのです。人間という生命体においてはひとつの中心的活動源があります。この源は生命体全体の有力な機能です。簡単に言うと、生命体の維持だけではなく、その向上を含むような実現、充足への志向であります。
-------引用ここまで--------