哲学者ポパー: 開かれた社会

「開かれた社会」とは

科学哲学者であるカール・ポパーは著作「推測と反駁 ~科学的知識の発展」( http://www.amazon.co.jp/dp/4588099175/)の中で、科学の発展の仕方を論じていますが、その応用として、「開かれた社会」という概念を打ち出しています。この概念により、当時、学者達の中でも支持の広がりを見せていたマルクス社会主義思想に対して真っ向から批判をしました。

 

ヘーゲル弁証法を悪用したマルクス

ポパーは、マルクスヘーゲル弁証法を悪用し、批判を封じ込めていると、批判しました。マルクス弁証法でのべることを批判者に強要し、弁証法ではない方法での批判に耳を傾けませんでした。批判すべき点があるのなら弁証法で批判できるはずだという論述をマルクスは繰り広げ、巧みに批判をかわしてきたのです。マルクスが主張する弁証法ヘーゲルの主張から改悪されており、ヘーゲルにとっても不本意であったでしょう。

 

民主主義 社会主義

民主主義対社会主義は長い間続きました。民主主義国家に住む学者達でさえ、社会主義を支持する人が多くいた時代です。それでもポパーは、社会主義か民主主義かというイデオロギー以前の問題として、社会主義には批判を封殺する仕組みが内在しているという理由だけで、社会主義はうまくいかなくなるとあてて見せたのです。批判の方法を批判される側が制限することは、科学的ではありません。つまり、政体として、うまくやっていけるかどうかは、「批判はどのような手段で行ってもよい」というのが絶対条件であり、社会主義であってもそれが成立していればうまくいく可能性はあるし、逆に詭弁を駆使すれば、批判の手段を制限することが出来、うまく行かなくなる社会になります。ポパーは、この違いを「開かれた社会」か「閉じられた社会」と区別するようになるのです。

 

民主主義でも閉じた社会を構築可能

「開かれた社会」の続きです。民主主義であっても批判の手法を限定させて閉じた社会が構築可能です。ブッシュ政権イラク戦争を行っていたころ、ソロスは政権がこれをおこなって閉じた社会を構築しようとしているとして批判しました。政権に対して取材が出来る人を限定したり、陳情を特定のルートにしぼったりと、現代でもいろいろなテクニックが使われます。社会を組織に読み替えれば、組織でもそのまま当てはまるものです。金融工学系の学会では、学会発表するために、知り合いに討論者を頼まなければならないといった習慣があります。これも批判の手法を限定する巧みな制度なのです。

 

批判させるのも難しい

批判というのは自動的には出てきません。継続的にうまくいく社会を作るためにはあらゆる手段で批判が出てくるようにしなければなりません。コストをかけてでも批判をかき集めるような政体でなければ、だんだんと社会は「閉じて」いき、いずれ破綻します。民主主義でもたゆまない批判の収集の努力がなければ、行き詰ってしまうのです。

 

ポパーが残した議論の「心構え」

 最後にポパーが残した議論の心構えをそのまま書いておきます。

「私は自分が正しいと思うが間違っているかもしれない。そして君が正しいかもしれない。ともかくそれを討論し合おう。なぜなら、それによってお互いが自分が正しいと言い張っているよりも、真の理解によりいっそう近づける見込みがあるからだ。」

「お互い自分の意見を相手に納得させようとしているだけでは、それは議論ではない。両者に、自分は納得させられるかもしれない、お互いのどちらの意見とも異なる第3の意見に納得するかもしれない、という心構えがないと議論にならない。」