哲学者ポパー: 推測と反駁 2/2
哲学者ポパー: 開かれた社会
■ 「開かれた社会」とは
科学哲学者であるカール・ポパーは著作「推測と反駁 ~科学的知識の発展」( http://www.amazon.co.jp/dp/4588099175/)の中で、科学の発展の仕方を論じていますが、その応用として、「開かれた社会」という概念を打ち出しています。この概念により、当時、学者達の中でも支持の広がりを見せていたマルクスの社会主義思想に対して真っ向から批判をしました。
ポパーは、マルクスがヘーゲルの弁証法を悪用し、批判を封じ込めていると、批判しました。マルクスは弁証法でのべることを批判者に強要し、弁証法ではない方法での批判に耳を傾けませんでした。批判すべき点があるのなら弁証法で批判できるはずだという論述をマルクスは繰り広げ、巧みに批判をかわしてきたのです。マルクスが主張する弁証法はヘーゲルの主張から改悪されており、ヘーゲルにとっても不本意であったでしょう。
■ 民主主義 対 社会主義
民主主義対社会主義は長い間続きました。民主主義国家に住む学者達でさえ、社会主義を支持する人が多くいた時代です。それでもポパーは、社会主義か民主主義かというイデオロギー以前の問題として、社会主義には批判を封殺する仕組みが内在しているという理由だけで、社会主義はうまくいかなくなるとあてて見せたのです。批判の方法を批判される側が制限することは、科学的ではありません。つまり、政体として、うまくやっていけるかどうかは、「批判はどのような手段で行ってもよい」というのが絶対条件であり、社会主義であってもそれが成立していればうまくいく可能性はあるし、逆に詭弁を駆使すれば、批判の手段を制限することが出来、うまく行かなくなる社会になります。ポパーは、この違いを「開かれた社会」か「閉じられた社会」と区別するようになるのです。
■ 民主主義でも閉じた社会を構築可能
「開かれた社会」の続きです。民主主義であっても批判の手法を限定させて閉じた社会が構築可能です。ブッシュ政権がイラク戦争を行っていたころ、ソロスは政権がこれをおこなって閉じた社会を構築しようとしているとして批判しました。政権に対して取材が出来る人を限定したり、陳情を特定のルートにしぼったりと、現代でもいろいろなテクニックが使われます。社会を組織に読み替えれば、組織でもそのまま当てはまるものです。金融工学系の学会では、学会発表するために、知り合いに討論者を頼まなければならないといった習慣があります。これも批判の手法を限定する巧みな制度なのです。
■ 批判させるのも難しい
批判というのは自動的には出てきません。継続的にうまくいく社会を作るためにはあらゆる手段で批判が出てくるようにしなければなりません。コストをかけてでも批判をかき集めるような政体でなければ、だんだんと社会は「閉じて」いき、いずれ破綻します。民主主義でもたゆまない批判の収集の努力がなければ、行き詰ってしまうのです。
■ ポパーが残した議論の「心構え」
最後にポパーが残した議論の心構えをそのまま書いておきます。
「私は自分が正しいと思うが間違っているかもしれない。そして君が正しいかもしれない。ともかくそれを討論し合おう。なぜなら、それによってお互いが自分が正しいと言い張っているよりも、真の理解によりいっそう近づける見込みがあるからだ。」
「お互い自分の意見を相手に納得させようとしているだけでは、それは議論ではない。両者に、自分は納得させられるかもしれない、お互いのどちらの意見とも異なる第3の意見に納得するかもしれない、という心構えがないと議論にならない。」
カール・ロジャーズ 1/2
カール・ロジャーズ 2/2
ポパーまとめ(twitterの呟きを並び替え)
2010年03月29日(月) 1 tweets | ソース取得: http://img.twi-log.com/image-dir/s-button.png http://img.twi-log.com/image-dir/s-ul-button.png http://img.twi-log.com/image-dir/s-p-button.png |
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人間尊重の心理学 読書メモ4
カール・R. ロジャーズ '人間尊重の心理学―わが人生と思想を語る'
の読書メモその4です。第8章はエレン・ウエスト(Ellen West)という実在人物の事例でしたが、すばらしい内容でした。みんなに全文紹介したいくらいです。難解な概念をひも解く実例としてこんなに分かりやすいものがあるとは驚きでした。何の予備知識がなくても読めるのに、「孤独」という難解な概念を大変よく理解できます。 (p.142) 孤独に対する見方は様々ですが、私はひとりぼっちだという感覚の二要素に焦点を当てたいと思います。(中略)第一は自己、即ち体験しつつある有機体からの疎隔です。この基本的亀裂の中で、体験しつつある有機体は経験の中にある意味を感じ取っていますが、意識的自己は他の意味に執着しています。なぜならそれこそが人から愛され受け入れられるあり方だったからです。こうして、私たちは潜在的に宿命的分裂を所有しているのです。ひとつは意識の中で知覚されることによって習慣となっている行動である、またひとつは自己の内において自由にコミュニケーションできないために否定され無視されたまま、肉体という全存在によって感じ取られる意味です。 (p.148) 「私は知らない人物である自分と向き合っている。私は自分が恐ろしい。」(中略)「ある点で私は正気でない。本能にさからう戦いの中で滅びようとしているのだもの」(中略)「私は自分というものを全く受動的に、二つの敵対する力がお互いに闘う舞台のように感じます。」(中略)「私は孤立している。ガラスのボールの中で、ガラスの壁を通して人々を見ている。叫ぶけれど、誰にも聞こえない。」 (p.149) 乳幼児期、私たちは経験の中で生き、それを信頼しています。赤ん坊の空腹時に食物を得ようと努力すべきか否かを疑ったり迷ったりはしません。意識とかかわりなく自己を信頼して生きています。けれどもある年齢になると、親か誰かが「そんな風に思うのは、いやだよ」と効果的に告げます。そこで、感じていないことを感じるべきだと思い始めます。そして、こう感じるべきだという形で自己を築きます。自己が実際体験しつつある姿を直視するのは時たましかありません。(中略)彼女は自分であることをあきらめたのでした。(中略)彼女は自分がどう感じ、いかなる考えを持っているかがわからなくなっていました。これは最も孤独な状態です。自律的生命体からの完全な分離と言えます。 |